着ぐるみ劇のこと、分社化のこと
昨年(2021年)の夏、『劇団バンブー』という着ぐるみ劇団を立ち上げた(特定非営利活動法人)。着ぐるみ劇とは、人間や動物の着ぐるみを着た演技者が、あらかじめ録音された音声台詞に合わせて芝居やダンスをおこなう演劇のことである。その他には着ぐるみの中にマイクを仕込み、自ら台詞を言うものや、声優が舞台袖から演技者の動きに合わせて台詞を「あてる」こともある。
着ぐるみ劇をかれこれ二十年位続けている。アルバイトから始まり、いくつかの劇団に所属して、多くの劇場公演や訪問公演の舞台に立たせてもらった。その間、他の仕事やアルバイトをしない生活を送ってきたことを考えれば、着ぐるみ劇が僕の職業ということになるのだろう(先のことを全く考えてこなかっただけだとしても)。
最近では着ぐるみを着て表現する人のことを、スーツアクターと呼ぶそうだが、僕はまだ一度も呼ばれた記憶がない。もしもそんなふうに呼ばれたら、まるで正義のヒーローになったみたいで、体がムズムズして落ち着かないだろうし、あけっぴろげに悪いことも出来なくなりそうだから、この先も職業欄には自由業と書いてお茶を濁そうと思っている。
着ぐるみ役者になってよかったなと思うのは、朝の満員電車に乗らなくていいことと、苦手な人や気の合わない人と、極力会わなくても生きていけること(こらえ性がないのは、僕の数ある欠点のひとつです)。
それから、もうひとつ着ぐるみ劇をやっていてよかったのは、観客の反応をストレートに感じられること。客席の子供達は、面白い時には大きな声で笑い、退屈な時にはステージから目を離して、欠伸をしたり、洋服の裾を弄んだりして、常に正直に迷いも躊躇もなく、「思っていること」を伝えてきてくれる。その度に僕の心は揺さぶられ、無力感に苛まれることもある。しかしその一方で、身体表現の奥深さに向き合うことの愉しさや、観客に受け入れてもらえた時に感じる喜びは、こういうことをやっていなければ味わえないと思う。
英語では芝居がプレーと訳されるように、演劇が遊びや戯れの延長線上にあるものならば、劇場を演技者と観客が待ち合わせた「公園」に、訪れた園舎を「友達の家」になぞらえることができる。そう考えると、訪問公演とは、僕(演技者)が、友達の家(園舎)にお邪魔して、僕が持ってきたおもちゃ(物語)で友達(園児)と一緒に楽しく遊ぶようなものかもしれない。「いやいや、バカなことを言うんじゃない。演劇とは、もっと格式のあるものだ。」とお考えの方には、「どうもすみません。無神経で教養に乏しくて……、格式の高さや情緒をお求めの方は、古典芸能や伝統芸能などへ興味を持たれることをおすすめいたしております。」と丁重に頭を下げるつもりでいる(巷で話題のアンガーマネージメント)。
でも、着ぐるみ劇にそういうもの(格式)があったら煩わしいだけだし、身体だって持たないだろう。たまにあることだけれど、開演前に10分や20分も主催の偉い人の挨拶(あまりおもしろくない話)が続くと、公演する前に熱くて倒れちゃったりとか、梅雨や夏の時期は、お面をかぶって立っているだけでも意識が朦朧としてくる(クラクラ)。
そんな訳で、着ぐるみが出演する式典の際は、くれぐれも挨拶は要点を絞って短めに、欲を言うならば、多少のユーモアを織り交ぜてお話しされることを、強く、熱く、切に願っている。
目を閉じて、童話劇の未来に想いを馳せてみる。映画『オズの魔法使い』の劇中歌『虹の彼方に』が聞こえてくる。そういえば、ジュディー・ガーランドは子役の時から、「元気の出るお薬」を大人から与えられ、飲み続けたことで、晩年は依存症に苦しめられたという。あどけない笑顔と素敵な歌声の陰には、厳しい食事制限と分刻みのスケジュールと周囲の期待を裏切らない使命感が潜んでいる。僕は彼女のために祈る……嗚呼、ジュディーの魂よ、永遠に…………、…………。
誰かにそっと肩をたたかれて(ポン)、僕は目をさます。パソコンの画面はスリープモードになっていて、解除するとカーソルは覚えのない場所で点滅している。目を閉じて考えごとをしていたら、いつの間にか眠ってしまったようだ(ムニャムニャ)。えーと、何の話だっけ……?分社化ですね。
長い間、劇団バク(伝究工房)を支えてこられた代表・関係者のみなさんに感謝している。僕個人としては、分社化への決断を総括的に肯定している。至った経緯は一概に言えないけれど、トップが辞めると言い出して、後継人を誰にしようか探したけれど適任者がいなかった。それならば、5つのグループが個々に「やりたい演劇」を続けられるために独立しましょう、という流れは自然でもっともだと思う。
この先も、改善しなければならないシステムやルールは数多くあり、それらを放っておけば、三十年かかって積み上げてきた信用を失う事態になりかねない。そうならないためにも、問題点を「五つの法人」が知恵を出し合って解決すること。フェアネスを保ち、尊重、協力、競争、調和を可能とした間柄を築くことで、併存していけたらいいと思う。
今後は、「劇団バクの作品」とひとえにいっても、各法人によって違いが顕在化されてくると思う。観劇をされた方の中には、「あれれ?以前に観劇した内容と違っている。何これ?全然面白くない!」と気を悪くされる方がいるかもしれない。また過去に観た物語が、斬新で前衛的かつラディカルでウィットに富んだ作品に生まれ変わり、観客の胸に深く刻みこまれることがあるかもしれないし、全く刻みこまれないかもしれない。
願わくば、各法人がプロデュースしたステージをご覧いただき、演出の違いや、公演の雰囲気や、サービスの違いを見比べて、あなたの「お気に入り」を見つけてもらえたら嬉しい。そのお気に入りの中に、「劇団バンブー」の名を連ねていただけたら、さらに嬉しいし、今後の大きな励みにもなる。
【劇団バンブーの主な活動】
○劇団バクの作品をリメイク、アレンジ(脚色・演出)をすること。
○劇団バンブーの新作(童話、おとぎ話etc.)を創ること。
○着ぐるみ劇に適した造形のマスク、衣装、舞台セットを製作すること。
○愉快な演劇を上演して、観客に喜んでもらうこと。
活動内容は至ってシンプルで単純明快である。けれど、いくら目的が明確で意欲があっても、おわかりのように、僕には稚拙なものしか書けないし、不格好な代物しか作れない(今のところ)。それでもあきらめずに、表現者の端くれとして、持ち合わせをフルに使ってなんとかやっていこうと思う(それ以外に僕のできることはないのだから)。
僕は注意深く耳を澄ませ、あせらずに、ゆっくりと時間をかけながら童話劇を創案する。創案。想案。僕が受けとったバトンを次の誰かに渡す、その日まで……。
演劇は遊び。真剣に遊ぶと、くたくたに疲れて、夜の九時には瞼が重くなる。僕は世界中の五歳の子供と同じ時間に眠り、素敵な夢だけを見る。なぜなら僕の心の中にはいつも「バク」がいて、怖い夢や悲しい夢を食べてくれるから。
2022年 2月 竹村正之