愛と深爪と寂しんぼう
保育園の年少から年中へ上がった頃に、両親が離婚した。 二人の姉と僕は父親に引き取られ、ほどなくして義母ができた。やがて父親と義母との間に三人の子供が生まれた。姉達は近くに住んでいた本当の母親と頻繁に会っていたが「三人でいくとお母さんにお迷惑だから」といって僕が母親の家へいくことを止めた。そのときは「まあ、そうだよな」と納得していたんだけれど、寂しさに耐えかねて泣くこともあったし、指の爪はいつも噛み癖でガタガタだった。今にして考えれば、ずいぶん悲しいことだったんだ。
えーっと、これ不幸自慢じゃないですよ。ただ事実を書いているだけ。
しかし時移り今、おんぼろハイエースのステアリングを握って早朝のせたどう(世田谷通り)の信号を待つ間、人生をつらつらと振り返り、僕はなぜ子供向け演劇を続けているのかを考える。
「子供が好きだから?」うーん、電車や飛行機で騒がれるとイライラするし、寿司屋でウニやイクラを食べているのをみると「生意気なガキめ!卵かカッパ巻きでも食べてりゃいいんだよ!」と思ったりする。
普通、思いますよね?
芝居中に大きな声で「どうせ人間が入っているんでしょ!」と進行を妨げたり、席を離れてタッチを要求してくる子供がいると「この野郎、人間が入っているのは当たり前だろ、いいから大人しく座って観てろ!」と思ったりする。
普通、思いますよね?
どうやら「子供好き」という理由はあてはまらないみたい(別に嫌いではないけれど)。
ただ、大きな声を出さなければ振り向いてくれないという寂しさや、叱られてもいいから構ってもらいたいというやるせなさに、僕は親しみを抱いてしまう。
そういう「寂しんぼう」の気持ち、僕はわかる。
噛みちぎって深爪になった指先から血が滲んで、それでも「寂しんぼう」は爪を噛むことをやめられない。満たされない気持ちが募れば募るほど、「寂しんぼう」の叫び声は大きくなり、ボディタッチは激しくなる。
だから、せめてお話しを観ている時だけは、寂しさを忘れられるように、叫び声じゃなくて、笑い声が聞こえるように、「寂しんぼう」が目を覚まさないように……。
信号が青に変わり、僕はアクセルを踏み込んでいく。荷物をぱんぱんに積んだ、おんぼろハイエースが重そうな音をたてて、ゆっくりと前に進む。
さあ、今日も張り切って、園児に向けて演じようぜ!(結局ダジャレ!すみません……)
長い間そういう生活を続けてきた。今では、ちゃんと爪切りで爪を切るようにしている。でもたまに失敗して、深爪になっちゃうけれど……。
2025年 3月 竹村正之